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結晶の中に宇宙を見る

2022.01.28

結晶の中に宇宙を見る

素粒子宇宙起源研究所・Φ研 准教授 北口雅暁

 

 

今回の研究成果は、中性子が単結晶の内部を進む際に作る模様を観測することで、宇宙の歴史の謎に迫れるかもしれない、というものです。

 

宇宙は膨張している。しかも加速度的に?

物理学者たちは宇宙が超高エネルギーの塊から始まったと考えています。宇宙初期の様子を研究しようとしても、現在の低いエネルギー状態の宇宙では他の(私たちが普段よく見るような)現象に隠れてしまってほとんど見えません。(KMIでは、加速器と呼ばれる装置で人工的に高エネルギー状態を再現する研究も行なっています。【参照:ATLAS実験Belle II 実験】)。しかし、もしも宇宙の歴史を貫く基本的な法則が存在するなら、宇宙初期の物理現象も今の日常の中にごくわずかだけれども混じり込んでいるはずであり、非常に精密な測定によってそれらが見つかるかもしれません。【こちら<参照:CPの破れのビハインドザシーンの記事>やこちら<参照:中性子寿命のビハインドザシーンの記事>もあわせてご覧ください。】

宇宙が膨張している、というのは聞いたことがあるかもしれません。どの銀河もお互いの距離が遠ざかっているように見えるのです。最近の研究で、その膨張が加速しているということもわかってきています(図1)。銀河同士に反発させる力が働いているように見えるのです。銀河同士に働く力は、ほとんどが「重力」です。重力というと、ボールが下に(地面に)向かって落ちる原因の力というイメージですが、物理的には「質量(〜重さ)を持った物体間に働いている力」のことで、その大きさは質量が大きいほど強くなります。銀河のような大質量の物体の間には巨大な重力が働いています。銀河間に反発力が働いて膨張が加速しているように見える、と言いましたが、現在までのところ、重力には引き合うタイプ(引力)しか見つかっていません。巨大な重力を振り切って反発させるような、なんらかの未発見の力が働いているのでしょうか。この「宇宙を加速膨張させる力の源」は「ダークエネルギー」と呼ばれています。最新の観測によると、ダークエネルギーは現在の宇宙のエネルギー全体の約70%を占めていると考えられていますが、その正体はほとんどわかっていません。

ダークエネルギーが存在しているとして、銀河のような大きいスケールだけでなく、私たちの身の回りの物体の間にもその影響が現れるでしょうか。日常生活では感じないだけで、実はミクロの世界に潜んでいる…なんてことはないでしょうか。銀河に比べて質量がとても小さいので、その影響は非常に小さいかもしれません。非常に小さい力を感度良く探すことができれば、何か発見できるかもしれません。

図1:ビッグバンで始まった宇宙は加速しながら膨張しており、銀河はお互いにどんどん離れていっています。私たちの身の回りで、さらにはミクロな世界で、ダークエネルギーの影響は現れるのでしょうか?

 

ミクロの「粒子」の不思議な「波紋」

大きな宇宙から小さなミクロの世界に目を転じてみましょう。私たちの身の回りの物体は原子が集まってできているというのはご存知の通りです。ミクロの世界では、原子やその内部にある陽子、中性子、電子といった「粒子」は、粒子であると同時に「波」のように振る舞う、ということが知られています。(この振る舞いを記述する物理学の体系を量子力学と言います。)私たちの日常生活の延長では全く想像することができませんが、様々な実験からミクロの世界の登場人物はそのような不思議な性質を持っていることが確かめられています。「波」としての性質で特徴的なものに「干渉」があります。水面を広がる波紋が重なり合って美しい模様を作るように、原子の世界では粒子が波紋を作ることがあります。例えば、2つのスリットが開いた壁に向かって電子を「一粒ずつ」飛ばすと、壁の向こうには単純な影ではなく縞模様が現れます(図2)。この縞模様の明るさや周期は、スリットの大きさや2つの間隔を反映しています。逆に言えば「縞模様を調べることでそこに何があったか想像することができる」のです。

スリットのかわりに結晶を用いるとどうなるでしょうか。結晶とは、原子や分子が特定の配置で規則正しく並んだ状態です。例えばダイヤモンドは炭素原子が規則正しく並んだ結晶です。規則正しく並んだ原子に波が入っていくと、波面が複雑に重ね合わされて、特徴的な模様が生じます。その模様を調べれば、結晶の中で原子がどのように並んでいるか、個々の原子とどういう相互作用を起こしたのか、が分かるはずです。結晶にはたくさんの原子が含まれていますから(1cm角の結晶の中には10の22乗個(1億個の1億倍のさらに100万倍)程度の原子が含まれています)その影響を拡大して見ることができます。しかし実際には、私たちが普段扱う結晶というのは完全ではありません。全ての原子が綺麗に配列しているなんてことはなく、途中で配列がずれたり傾いたりしています。またそこに入射する波も全く綺麗な波というわけではなく、波長が異なったり進行方向が傾いたりしているものが混じっています。結果として波が乱れてしまい、繊細な波紋は消えてしまいます。

図2:2つのスリットが開いた壁に電子を飛ばすと、その奥のスクリーンには縞模様が現れます。この「干渉」という現象は電子の「波」としての性質を示しています(左)。原子が規則正しく並んだ結晶に「波」を入射すると内部で相互作用を繰り返し、特徴的な縞模様が現れます(右)。

 

ミクロの世界でダークエネルギーを探すには

今回の研究で私たちは、超精密に加工した完全性の高いシリコンの結晶を用い、また入射する波としてよく整えられた中性子を用いることで、波紋をなるべく崩さずに観測しました。波の入射方向を変えた時の変化を見ることで「結晶の内部で何が起こったのか」を詳しく調べることができました(図3)。例えば、結晶を作っている原子は、実はじっと止まっているわけではなく常に振動しています(熱運動)。中性子の波紋の「熱運動の影響」を解析したところ、結晶の内部でも従来想像していたよりも激しく原子が運動していることがわかりました。さらに、原子は中心の原子核とその周りに広がる電子とでできていますが、電子と中性子が相互作用している様も見ることができました。中性子は全体では電気的に中性(プラスマイナスゼロ)ですが、中心付近がプラス、外側がマイナス、と分布を持っていることがわかっています。今回は、中性子の波紋の「電子との相互作用の影響」を詳しく調べることで、その電気的な分布を従来よりも高い精度で求めることができました。

さて、このように精密な測定ができる「中性子の波紋」を使って、いよいよ宇宙の歴史・ダークエネルギーに挑戦してみましょう。シリコン原子も中性子も、質量を持つ物体です。二つの物体の間には重力(引力)が働いているはずですが、どちらもとても軽い(質量が小さい)のでその大きさは極めて小さいため(1nm離れた1個のシリコン原子と1個の中性子の間の重力は10-45kgです!)、中性子の波紋に影響を与えることはありません。もしも、重力を振り切って宇宙を膨張させる力がミクロの世界に潜んでいるなら、波紋が変化するはずです。

図3:結晶の中にできた縞模様を調べることで、結晶を作っている原子の運動の様子を知ることができます(左上)。中性子は内部に電気的な分布を持っているので原子の中の電子と相互作用します(右上)。さらに、原子の中心(原子核)と中性子の間に働く未知の力を調べられるかもしれません(右下)。

今回の測定では残念ながらその変化は見つかりませんでした。「結晶内部の中性子の波紋は、私たちが知っている相互作用(原子の配列・熱運動・中性子と電子の相互作用)だけで予測される形だった。ダークエネルギーによるものなどの未知の力による変形は見られなかった」ということです。しかし、この未知の相互作用(「第5の力」などと呼ばれます)の性質に世界最高の感度で迫り、その性質に制限をつけることができました。つまり「もしもそんな力が存在しているとしたら、これよりは弱いはずだ」「その力はもっとミクロな世界にしか現れないのかもしれない」ということです。この情報は宇宙の進化や素粒子の相互作用の理論を制限することになり、私たちが「宇宙のより基本的な法則」に迫ろうとする際の道標になります。

ひょっとすると、今回はほんの少し感度が足りなかっただけで、ダークエネルギーの証拠はすぐそこにあったのかもしれません。私たちはさらに感度を向上させようと研究を続けています。ご期待ください。

 

 

 

論文情報

“Pendellösung interferometry probes the neutron charge radius, lattice dynamics, and fifth forces” Science 373, 1239-1243 (2021). DOI:https://doi.org/10.1126/science.abc2794