【研究成果】重いクォークの対称性から紐解くハドロン崩壊の新しい「普遍法則」を発見 ― 新物理への手がかりとなる理論基盤の構築 ―
名古屋大学素粒子宇宙起源研究所(KMI)/高等研究院(IAR)の特任助教の井黒就平さんらの研究グループは、ボトムクォークやチャームクォークなどの重いクォークを含む粒子の崩壊プロセスにおいて、メソンやバリオン、さらにはその励起状態に至るまでを統一的に記述できる新しい「和則(sum rule)」の構成法を確立しました。
本研究は、量子力学の基礎的な手法を用いることで、これまで個別に扱われることが多かったさまざまなハドロンの遷移を、共通の枠組みで結びつけることに成功しました。この成果は、現在の素粒子物理学における大きな課題となっている「b→c 遷移のアノマリー」(標準模型からのズレ)の解明に向けた、強力な理論的指針を与えるものです。
この成果は2026年1月20日付でPhysical Review D誌に掲載されました。
論文の注目ポイント
ハドロンの種類を問わない普遍性
BメソンやΛbバリオンの基底状態に加え、励起状態のメソン(D**など)やバリオン(Λc∗ など)、理論的に扱いが難しかったΩbバリオンの遷移に対しても適用可能な、汎用性の高い和則を導出しました。
「スピン分解描像」の導入
量子力学における基本的ツールであるクレブシュ・ゴルダン(Clebsh-Gordan; CG)係数の直交性を利用し、ハドロン崩壊の構造を「重いクォークのスピン」と「軽いクォークなどの角運動量」に分解して、直感的かつ透明に記述する手法を確立しました。
遷移振幅の二乗で成り立つ根源的な関係式
これまでの和則が、崩壊確率をエネルギーについて積分した「崩壊幅」に注目していたのに対し、本手法は遷移振幅の二乗という、より根源的な段階で成り立つ関係式を導いています。これにより、ハドロン崩壊の詳細な内部構造を直接反映した本質的な性質が明らかになりました。
研究の背景:標準模型のアノマリーと重いクォークの対称性
現在、ボトムクォークがチャームクォークへと変化する「b→c遷移」において、標準模型の理論予測と実験結果が一致しない現象、いわゆる「アノマリー(anomaly)」が報告されており、世界中で注目されています。この問題を解くには、メソンの崩壊(B → Dや、B → D∗)やバリオンの崩壊(Λb → Λcなど)といった、異なる種類のハドロン崩壊を横断的に比較して、理論と実験の整合性を精密に検証する必要があります。
しかし、ハドロン内部ではクォーク同士の強い相互作用が複雑に働くため、異なるハドロン間の遷移を精度良く比較することは理論的にきわめて困難でした。ここで重要な役割を果たすのが、重いクォークの質量を無限大とみなした極限で成り立つ「重いクォークの対称性」です。B中間子やΛbハドロンは重いクォークと軽いクォークの結合状態として記述されるため、この極限では、重いクォークのスピンが”ほぼ動かない”状態とみなせるため、軽いクォークの運動が独立して扱えるようになります。
今回の成果:スピン分解描像による普遍法則の確立
本研究では、重いクォークの対称性と量子力学の基礎であるクレブシュ・ゴルダン(Clebsch-Gordan)係数の直交性を組み合わせた「スピン分解描像(spin decomposition picture)」という手法を用いて関係式の導出に取り組みました。この手法によって、扱っている崩壊過程の物理的意味がより明確になり、遷移振幅の二乗がハドロンの種類や励起状態によらず互いに普遍的に関係付けられることが示されました。
この枠組みは、従来の基底状態の結果を自然に再現するだけでなく、励起メソンや、これまで扱いが困難であったスピン1の「悪い(bad)」ダイクォークを持つΩbバリオンといった系にも適用できます。これは、クォークレベルの遷移が同じ共通であれば、遷移振幅の二乗という根源的な量がハドロンの種類に依らず普遍的になることを示しており、ハドロン崩壊を統一的に理解するための重要な視点を与える成果です。
今後の展望:実験検証と未知の物理への展開
今回導出された和則は、理論上の極限である質量無限大のケースを想定しています。一方、現実の解析では、クォークの質量が有限であることによる補正の影響を正確に評価することが不可欠です。研究グループは、このような有限の質量補正を系統的に取り入れる研究をすでに進めており、その最新成果は2026年1月の研究会にて先行発表されました。
今後、Belle II 実験やLHCb実験、将来計画である欧州のFCC-ee実験一部であるTera-Z実験などにより高精度なデータが蓄積されることで、本研究で導出された和則の実験的検証が大きく進展すると期待されます。本研究が提示する理論的枠組みは、観測されているアノマリーが標準模型の範囲内の現象なのか、それとも未知の物理法則の兆候なのか見極めるための重要な指針となります。
研究者コメント
今回の発見は前回のプレスリリースで得られた手がかりを出発点として発展させた研究成果です。理論的枠組みを大きく拡張することで、励起状態への崩壊など多様なハドロン崩壊過程を、一挙に統一的に扱う方法を確立しました。
これまでは、個々の崩壊過程に対して場当たり的に和則を構成していましたが、今回の発見により、どの崩壊過程をどのように組み合わせれば、より予言能力の高い関係式が得られるのかを明確にすることができました。一方で、今回導出した和則はボトムクォークやチャームクォークの質量が無限大であると仮定した極限で厳密に成り立つ関係式です。実世界の実験データと比較するためには有限質量による補正を取り入れることが不可欠であり、現在その評価についても継続的に研究を進めています。
こうした理論的進展を受けて、昨年9月にはCERNのLHCb実験の専門家向けにセミナーを行いました。また今年1月にはBelle II実験およびFCC-ee実験の研究者と研究会において、新しく対象となった崩壊過程の測定可能性について活発な議論を行いました。測定に向けた具体的な検討も進んでおり、これからが楽しみな”推し”の研究です。
3月には、素粒子分野で最も重要な招待制国際会議のひとつであるMoriond QCDへの招待を受けており、再びヨーロッパで研究発表を行う予定です。Moriond QCDへの参加は4年ぶり2度目となります。日本の若手研究者が短期間で複数回招待参加されるすることは非常に稀なことだと聞いていおり、この研究が国際的にも高く評価されていることを実感し、嬉しく感じています。
論文情報
- 論文タイトル: Constructing heavy-quark sum rule for → meson and baryon decays
- 著者: Motoi Endo, Syuhei Iguro, Satoshi Mishima, and Ryoutaro Watanabe
- 投稿先: Phys. Rev D 113, 014021
- DOI: https://doi.org/10.1103/xs7x-jcrd
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